最近の東大阪初級学校の記事

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大阪朝高ラグビー部物語-4

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〈ベスト4への道 大阪朝高ラグビー部物語-4-〉 誇り高き礎たち

「花園に行きたい」

準決勝終了後のロッカールームで晴れ晴れとした表情を浮かべる部員たち

 「花園に行きたい」

 それは、選手たちだけの願いではなかった。そして、大阪朝高ラグビー部が掲げる、「하나(ハナ、ひとつ)、믿음(ミドゥム、信頼)、승리(スンリ、勝利)」をスポットライトの外で一緒に叫び、選手たちを信じ続けたのは監督だけではない。

 同部マネジャーの金玉姫さん(2年)は3人兄妹の末っ子。2人の兄はラグビー部員だった。

 「オッパ(兄)たちの影響でラグビーに興味を持ち、マネジャーになった。花園に行くことはオッパたちの悲願でもあった」

 前回大会は府予選決勝で常翔啓光にその道を断たれている。金さんは、2人の兄が果たせなかった夢の続きを、選手たちの一番近くで見続け、声援を送り続けた。

 しかし、いざ花園に乗り込んだとき、「自分がここにいていいのだろうか」「何もしてない、何もできないじゃないか」と不安になったという。その時、彼女は応援席に集まる同胞たちの姿を見る。

 女だからと特別扱いされることはない。きつい言葉を言われることもある。選手同様、休日もない。弱音を吐いたこともあったが、練習後、自分よりも疲れているはずの選手たちの笑顔に励まされてきた。応援に駆けつけた同胞を見て、そんな思いが蘇り、自分にできることは選手たちを信じて、声援を送ることだと気づく。

 「同胞の応援は本当にすごかった。ありがたくて、うれしくて涙が出た。選手たちだけではなく、ベンチにいる自分たちも勇気づけられた。誇りに思う」

 スタメンを後輩に譲った3年生の部員たちも同じ気持ちだった。

 Bチームが強くなければ、Aチームが強くなれない。彼らは決してAチームの練習相手という存在に甘んじたりはしなかった。「お前がやらないなら俺がやる」と、日々の練習を通して体でいつも伝えてきた。一つひとつのタックルに「ハナ、ミドゥム、スンリ」の思いを込めてきた。

 タックルを決めるには血の滲むような反復練習と勇気が必要だ。選手たちが花園の舞台で繰り広げたタックルは軽くなかった。選手たちが自負する「魂のタックル」は、強い絆によって生まれたのだ。

「四位一体」

選手たちを誠心誠意サポートするマネージャー(写真はプロテインと牛乳をシェイカーに入れているところ)

 「史上最弱」と言われた3年生だが、彼らは中級部3年の時、大阪市の大会で3位に入賞したという実績がある。しかし、「心、意識レベル、覚悟が弱く、他力本願か利己的な選手ばかりだった。融合が必要不可欠だった。逆に融合すれば、強いチームになる手応えはあった」と、呉英吉監督は振り返る。

 大阪朝高ラグビー部OB会の金衛会長も、「決して弱いチームではない。(府予選決勝を控えた)和歌山合宿で団結力と勝機を見た」と言う。3年間、選手たちのサポートに徹してきたからこそ言える確信に似た思いだった。

 大阪朝高ラグビー部には、ラグビー部OB会、父母会、父母OB会の3つの後援団体がある。「四位一体」となり花園を目指してきた。

 同部は72年、ヤンチャな生徒たちを集めて創部。

 初代監督の金鉉翼さんは、「(朝高は)恐ろしい相手だと練習試合さえままならなかった。それでも約束を果たす一念でチームを立ち上げていった」と話す。

 「約束」とは、恩師である朝大・全源治名誉監督のもとに集まったラグビー部員たちが、朝大卒業後に「各地の朝高にラグビー部を作って中央大会をやろう」と誓い合った言葉のことだ。

 「約束」はその3年後に果たされる。奇しくも大阪朝高で初の中央大会が開かれた。「全国大会」への出場権さえ叶わなかった当時、「花園にもっとも近くてもっとも遠い」と言われた大阪朝高が、「全国大会」への出場権を得た今、全国3位という実績を残した。花園への夢は時代を越えて受け継がれてきた。

 OB、父母たちは選手たちを信じ、協力を惜しまなかった。

 3年前からチャリティーコンペを開催。初回は200人が集まった。

 また、日々の食事も目に見えない大切なサポートだ。身体作りのマニュアルも先代から進化しつつ受け継がれている。

 金衛会長は、「『ワンフォーオール・オールフォーワン(1人は皆のために、皆は1人のために)』は試合に出場する15人だけでは成り立たない。選手だけではなく、それぞれがチームとしてできる最高のパフォーマンスを行ったとき初めて達成される。縁の下の力持ちとしてできうるすべてをするだけだ」と語る。

 金鉉翼さんは、「みんなを信じて鍛えるだけ鍛えてほしい。流した汗と血、涙が人を大きく成長させてくれる」とエールを送る。

 選手たちは、誇り高き礎たちの、そのすべての思いを胸に表舞台に立ったのだった。

 大阪朝高ラグビー部の「チーム」の範囲は広い。OB、父母たちが現役選手たちの名前をみんな知っていることがその証。「ハナ、ミドゥム、スンリ」は大阪のラグビーに賭けるすべての者たちの公用語だ。

[朝鮮新報 2010.2.10]

大阪朝高運動場明渡し裁判 和解成立 最終報告集会

支援の輪、さらに拡げよう

 東大阪市が大阪朝鮮高級学校運動場の明渡しなどを求めた訴訟は、昨年11月20日に和解が成立し、学園側が運動場を1億4600万円で買い取ることになった。これに関する最終報告集会(主催=「運動場明渡し裁判」弁護団、学校法人大阪朝鮮学園)が1月22日、大阪府立中央図書館ライティーホールで行われた。民族教育へのさらなる支援の輪を拡げようと催された集会には、同胞と生徒、日本市民ら350余人が参加した。

「擁護する」「守る」の支援

集会であいさつをする大阪朝鮮学園の辛正学理事長

 集会ではまず、大阪朝鮮学園の辛正学理事長と弁護団団長の丹羽雅雄弁護士があいさつした。

 つづいて弁護団の原啓一郎弁護士が基調報告を行い、和解までの経緯を説明。中森利久弁護士、普門大輔弁護士、金英哲弁護士が補足説明を行った。第5回口頭弁論期日から弁護団に加入した金弁護士は、卒業生として弁護団に加わったことで、「母校を守れたことが一番うれしい」と語った。

 第89回「全国」高等学校ラグビーフットボール大会で3位となった大阪朝高ラグビー部の呉泰誠主将(高3)はあいさつで、1年時に出場した第87回大会会場で「東大阪の朝鮮学校を支援する市民の会」(07年7月31日結成)が「東大阪市の誇り! 大阪朝高ラグビー部がんばれ!」と声援してくれたことに励まされたと述べた。また、和解成立後は練習に集中し「全国大会」で結果を残せたと語り、「これからも僕たちの夢と希望、そして汗と涙のしみついた運動場とウリハッキョを守るため、温かいご協力とご支援をお願いします」と話した。

 「東京枝川裁判」弁護団の師岡康子弁護士は連帯のあいさつで、3月からの東京朝鮮第2初級学校新校舎新築工事が開始するにあたって、大阪の在日同胞たちからもたくさんのカンパ金が寄せられたことに謝意を表した。そして、民族学校が「学校」として認められていないなか、大阪での和解判決をきっかけに、指定寄付金適用のための運動などを共にがんばっていこうと呼びかけた。また、かけはし信勝・大阪府議、府下の「朝鮮学校を支える会」代表からは、府民の誇りである朝鮮学校をともに守っていくため、これからも連帯していこうという激励の言葉があった。

 丹羽弁護士がむすびのあいさつを行い、「『擁護する』『守る』ということを3年間やってきた。そのなかで、絶対に譲歩しないという強い立場がインパクトを与えた。借入金を返すための運動を展開し、指定寄付金適用のための運動も展開していくことが今後の課題だ」と指摘した。

 集会に参加した大阪朝高の金泰基さん(高2)は、「弁護団の人や同胞たちが力を合わせて運動を展開する姿を目の当たりにしながら、感謝の気持ちでいっぱい。たくさんの人たちの期待に応えるためにも学業と部活に励んでいきたい」と語った。

制度的保障確立に向け

集会後の交流会では、勝利的和解に満足することなく今後も朝鮮学校を支援していこうと話し合った

 1952年4月創立の大阪朝高は、57年に生野区田島から河内市(現在の東大阪市)へ移転し、73年に同市内菱江(町)へ再移転した。

 再移転に先立つ72年に告示された土地区画整理事業を受け、大阪朝鮮学園は東大阪市との間で土地減歩に関わる覚書を交わした。覚書には、「後刻決定される減歩は土地等で行うものとし、その方法については学校という教育施設の有益性の立場を考慮して、双方協議のうえ履行するものとする」と記されている。

 大阪朝鮮学園はその後、東大阪市と協議を重ねてきたが、市側は価格交渉の開きを理由に協議を一方的に打ち切り、「当該土地の明渡し等」を求めて07年1月31日、大阪地裁に提訴した。

 提訴内容は、①運動場該当部分のフェンス等物件の収去、土地の明渡し②平成9年1月1日から平成18年12月31日の賃料分7853万3722円の支払い③平成19年1月1日以降から明渡すまでの賃料分1カ月につき47万1034円の支払いなど。訴訟では07年3月17日の第1回弁論期日から09年10月29日の第10回弁論期日まで、原告および被告双方から準備書面や証書などが提出された。

 同提訴に対し、大阪朝鮮学園側は、第1から第9準備書面を提出。問題の本質については、①一般的な土地明渡し等の訴訟ではなく、生徒たちの学習権・教育権にかかわるすぐれて「公共の用に供する基盤的な教育施設」の明渡しに関する訴訟であること②日本の植民地支配の歴史、戦後の在日朝鮮人、朝鮮学校に対する人権抑圧と差別・敵視政策の歴史的経緯と差別の現状、国際人権基準からも判断されなければならないということ③東大阪市と大阪朝鮮学園との間で確認された「覚書」の存在、それに基づく当事者の協議の経緯を十分に理解して判断されなければならないということ④生徒たちの学習権・教育権を具体的に保障する基盤的な教育施設を奪っても達せられるべき東大阪市の行政目的も必要性も存在しない事実が判断されなければならないことを主張してきた。

 08年10月29日の第10回弁論期日において、和解勧告が出された。裁判官は原告及び被告双方に対し、東大阪市の公益上の理由と大阪朝高生徒たちの学習権保障とを調整するためには、和解手続に移行すべきであると指摘した。

 これを受け、08年11月9日から09年11月20日の和解成立まで、9回に及ぶ和解期日がもたれた。裁判官の「和解案提示に当たっての所見」(09年10月8日付、別項参照)による検討もあり、和解は成立した。

 学園側の弁護団は3年間、大阪朝高生徒の民族教育権を擁護し、生徒たちの「安心して学べる基盤的な教育施設」である運動場を守りきろうとたたかったことで、学園側が市側に提示した買取金額に近接した金額での和解が成立した。

 弁護団ではひきつづき、民族的マイノリティーの子どもたちの教育への権利保障と外国人学校・民族学校の制度的保障の確立に向けた努力を続けていくという。

大阪朝高運動場明渡し裁判 裁判官の所見(要旨)

[朝鮮新報 2010.2.3]

大阪朝高ラグビー部物語-3

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「ハナ、ミドゥム、スンリ」

大阪朝高ラグビー部は、同胞たちに大きな力と勇気を与えた(対桐蔭学園戦)

 新チームを率いることになった呉泰誠主将は、「まずはチームワークを固めること。そして、部員一人ひとりがプレーに集中し大阪朝高のラグビーを楽しめる最高の環境を作るために努力した」という。

 同時に同級生たちには、「自分たちを『最弱』呼ばわりした周囲を絶対に見返してやろう。歴史に残るようなことをやってのけよう」と常に呼びかけた。同級生たちは主将の呼びかけに積極的に応えた。

 1年間の練習をこなし、いよいよ「全国高校ラグビーフットボール大会」の大阪府予選が始まった。予選の間、呉泰誠主将は「チャレンジャーとして臨む」という気持ちをいつも忘れずに戦った。

 「負けたら終わりというプレッシャーもあったけど、自分たちが1年間やってきたラグビーと自分の力を信じて楽しんで試合に臨もう、そうすればおのずと道は開けるとみんなには常に言っていた」

 予選を順調に勝ち進んだ大阪朝高は、府予選決勝で常翔啓光と対戦する。これまで公式戦では一度も勝ったことがない相手だ。決勝を2日後に控え、高3の選手たちは合宿をやりたいと呉英吉監督に提案した。

 合宿の最終日、2人のOBを入れてAチームとBチームの紅白戦を行ったのだが、Bチームの高3は(負傷者が出るのではないか)と呉監督が心配になるくらい、本気でぶつかっていった。

 そしてAチームの後輩たちに、「絶対に勝て! 死ぬ気で決勝に臨め」と涙を流しながら訴えた。高3は最後に呉泰誠主将のスパイクに「하나(ハナ、ひとつ)、믿음(ミドゥム、信頼)、승리(スンリ、勝利)と書き込み、常翔啓光に勝つことを固く誓った。

 昨年11月8日、近鉄花園ラグビー場第1グラウンドで行われた府予選決勝。大阪朝高の選手たちは物怖じすることなく果敢に攻め立てて、25-19で常翔啓光を下し、2年ぶり4度目の「全国」への切符を手に入れた。

 康貴普選手は、「啓光との決勝が一番思い出に残っている。みんなが楽しみながら、やりたいことをできた。相手に思い通りのプレーをさせなかった」と話す。優勝が決まった瞬間、金仁照選手の頭に浮かんできたのは、「あと2カ月、みんなと一緒にラグビーができる」といううれしさだった。

 呉泰誠主将は、「『ほら、勝ったやろ』って思った。自分たちのラグビーが通じる、大阪3強の一つに勝ったことが本当にうれしかった」と振り返った。

「この1年すべてが思い出」

新たな歴史は、後輩たちに受け継がれている(対流通大柏戦)

 いよいよ「全国大会」に乗り込んだ大阪朝高。初戦の新潟工業戦を50-0で完勝した選手たちにとって、最も気合いの入ったのが8強をかけた国学院久我山との一戦だった。

 「相手は東京ナンバーワンのチーム。おまけに東京朝高が都予選大会決勝でボコボコにされた相手。ベスト8という新しい歴史を創造するためにも、絶対に負けられへんと思った」(呉泰誠主将)

 激しい攻防の末に国学院久我山を15-7で下し、念願の8強入りを果たした勢いで、ベスト4という快挙を成し遂げた。

 「チームのみんなで楽しくラグビーをすることができた。同級生たちとラグビーについて語り合ったり、ワイワイ騒いだのが一番記憶に残っている」と話すのは金仁照選手。朴鐘圭選手は、「このメンバーで正月を迎えられた(「全国大会」に出場するということ)のが本当にうれしかった。さらにいいチームにしたいとみんなが努力した結果が、ベスト4につながった」と感慨深げだ。

 呉泰誠主将は、「この1年間の一日一日の全部が思い出。仲間たちと遊んで、やんちゃして、ラグビーに打ち込んだ本当に楽しい1年だった」とほほ笑んだ。

 「史上最弱」と言われ続けた高3の選手たち。くじけそうな時には同級生同士で励ましあいながら、悔しさをバネにひたすらラグビーに打ち込んだ。

 監督やコーチ、学父母やOBたちに支えられ、その愛情に応えようとがんばってきた3年間の努力の結晶が、4強という新たな歴史を創造したのである。

[朝鮮新報 2010.2.3]

〈ベスト4への道 大阪朝高ラグビー部物語-2-〉 後輩からの重圧

21人の「スター」たち

不動のNo.8、朴鐘圭選手(対国学院久我山戦)

 「ようやく朝高に来た」

 東大阪朝鮮中級学校時代、大阪はもちろん全国の強豪校相手にまったく引けを取らなかった新入生21人の「スター選手」たちは、並々ならぬ決意を胸に朝高ラグビー部に入部した。

 大阪府ラグビーフットボール協会では、5月まで高校新入生の試合出場を禁じている。入部からの1カ月間、高1の選手たちは「(朝高のラグビーが)どんなもんか、見たろか」と、勢いこんで練習に参加。6月からチームに合流し、最初の練習試合で新1年生だけのCチームで相手のBチームを破ってしまった。

 「あの頃からすでに『自分たちは違う』という驕りの片鱗を見せていた。どこかで鼻を折らなければならないと思っていた」と、呉英吉監督は当時を振り返る。

 呉監督はその一方で、(当時の呉泰誠主将ら)高2にもプレッシャーを与えた。「強い高1が入ってきた。Aチームに入れなかった高3もいるし、Cチームからあがってくる高1もいる。Bチームにお前たちの居場所がなくなるぞ」。そして、「お前たちにしか持っていない武器を備えろ」と発破をかけた。

 高2は、「ポジションを奪われまいと必死に練習した。だけど(ポジションを)取られるのは時間の問題だと思っていた」(金仁照選手)と戦々恐々としていた。

 しかし、「周りから『1年に抜かれるぞ』『1年の方がマシや』と言われ、なにくそと思った。当時、技術では高1の方が上やったけど、気持ちでは絶対に負けへんかった」(呉泰誠主将)、「抜かれるという不安はあったけど、後輩が強ければ、チーム全体としては強くなるという期待もあった」(康貴普選手)と発奮し、さらに練習に励んだ。

 そんな高2を見ながら、呉監督は高1の「鼻を折る作業」にも本格的に着手した。

 「先輩たちはこんなに努力している。高3になったら間違いなく『全国大会』に行けるぞ」「たいしたことないやないか。うまいうまい言うけど、何ができんねん。タックルひとつろくにできへんやないか」「初心者やった先輩も1年間でこんなにうまくなるんや」と、ことあるごとに厳しい言葉を投げかけ、彼らがラグビーにより真剣に取り組むよう導いた。

「逆境を楽しむ」

高1の選手たち(今の高2)は、中級部時代に圧倒的な強さを誇った

 先輩と後輩からの重圧の中、ひたむきにラグビーに取り組む高2を見て、呉監督は常に課題を与え、総体的なレベルアップを目指した。

 「他校との練習試合で常にノルマを与えた。秋からは次の年を見越して高2に自信をつけさせながら、高1に隙を見せるなと、そのつど強調した」。また、周りからの雑音は気にせず、常に目の前のことに集中しろと強調した。

 高2の選手たちは、監督の期待に応えるかのようにめきめきと実力をつけていった。ラグビーに関しては、目で見るもの、心で感じるものをすべて吸収し自分のものとして取り込んだ。

 「吸収力の高さと飲み込みの速さはどの学年にも負けなかった。みんなで話し合い練習しながらラグビーに熱中していた。誰かにやらされているわけではなく、楽しみながらやっていた。当時の高2からは悲壮感はまったく感じられなかった。泰誠がインタビューでよく口にする『逆境を楽しむ』という言葉は、このような経験が土台になっているんだと思う」と呉監督は振り返る。

 実力をつけていくうちに、呉泰誠主将や朴鐘圭選手が府の強化メンバーに選出される。そのような先輩たちの姿に、後輩たちの見方、接し方も徐々に変わっていった。

 一つのチームとしての形ができあがろうとしていたが、今度は呉泰誠主将が「天狗」になる。強化メンバーの練習には一生懸命参加するが、朝高の練習では「腰が痛い」などと理由をつけて参加しない。授業中も寝ていることがほとんどだった。

 そんな彼を見て、呉英吉監督はすぐに「制裁」を加えた。

 「試合にはいっさい出さなかった。ラグビーだけやればええというわけやない、学校や両親、OBたちの愛情があってこそ今の自分があるということを常に言い聞かせた」

 監督に言われ、呉泰誠主将はすぐに改めた。彼をはじめとする高2の選手たち全員が、その頃からすべての面で変わっていった。ラグビーはもちろん、勉強でも成績をどんどんあげていった。これには周りの教員たちも驚いたという。

 高3が引退し、新チームの主将を誰に任せるかについて、呉監督はまったく迷わなかった。

 「新チームの主将はやんちゃな方がいいと思っていた。口数も多いが自ら行動してチームを引っ張る泰誠こそ、このチームの主将にふさわしいと考えていた。彼と鐘圭が力を合わせればとんでもないチームになる」

 呉英吉監督の確信にも似た思いを現実のものにした新チームが、ついに始動したのである。

[朝鮮新報 2010.1.27]

[朝鮮新報]大阪朝高ラグビー部物語 1

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〈ベスト4への道 大阪朝高ラグビー部物語-1-〉 「史上最弱」からのスタート

 大阪朝鮮高級学校ラグビー部が、「第89回全国高校ラグビーフットボール大会」で3位という歴史的偉業を成し遂げた。朝鮮学校をはじめとする各種学校が、団体競技で「全国」ベスト4に入ったのは今回が初めて。1972年の創部以来、新たな歴史を創造した高3をはじめとする選手たちと、彼らを支えた監督やコーチ、マネージャーやOBたちの3年間を5回にわたって紹介する。

「認めざるをえない現状」

相手ゴールに向かって走る呉泰誠主将(対新潟工業、左から4人目が金仁照選手)

 13人という少ない部員数ながらも、「全国」ベスト4へとチームを牽引した呉泰誠主将をはじめとする高3の選手たち。しかし、彼らが中学から高1に上がった当時は、「史上最弱」という不名誉な「称号」を与えられ、その屈辱に耐え忍ぶ日々だった。

 「正直むかついたけど、当時は認めざるをえない実力しかなかったし、みんながそれを受け入れるような雰囲気だった」

 呉泰誠主将は、当時をこのように振り返る。1年の時からAチームでプレーしていた彼だが、自分たちとAチームの先輩たちのレベル差に愕然としたという。その差を少しでも縮めたいとみんなで話し合い、時間を惜しんで練習したが、結果はなかなかついてこなかった。

 プロップの金仁照選手も、最初は「史上最弱」と言われることを仕方がないと思っていた。

 彼がラグビーと出会ったのは初級部6年の時だった。「うちの学校の入学式に、自分の子どもの入学を祝おうと呉英吉監督(当時はコーチ)が参加していた。その時に監督から『いい体してるな。朝高に入ったらラグビーをやらないか』と言われた」のがきっかけで、中1からラグビーを始めた。

 しかし、東大阪朝鮮中級学校でラグビー部に入部したものの、完全な「幽霊部員」となった。「自分が練習に出ないことで同級生には迷惑をかけた。そんな自分でも、みんなは最後まであきらめずに仲間として認めてくれた。今の自分があるのはみんなのおかげだ」と話す。

 大阪朝高進学後もラグビー部に入部。「高2、高3がそれぞれ20人以上いる中、自分たちは13人しかいない。おまけに未経験者が6人もいたから、『史上最弱』と言われても仕方がないとあきらめていた」。

 その一方で、「いつか『全国』に出て見返してやる」とも思った。ラグビー部の練習が終わった後も個人練習を毎日のように繰り返した。並々ならぬ努力の結果、彼は168センチ、105キロという体躯で誰にも負けないくらい走れるようになった。

実感するきっかけ

今の高3部員が高1の頃に撮った一枚。当時は、周囲から「もやしっ子」と言われていた

 一方、自分たちの置かれた厳しい状況をプラスに考える選手たちもいた。

 169センチと小柄ながら、スピードで相手を翻弄し、府大会から「全国」大会で得点シーンにからんだ康貴普選手。

 「初級部の頃、大阪朝高ラグビー部の試合を見てラグビーをやりたいと思った。中学の3年間、ラグビーをやったが、まだやりたりないと思い、朝高でもラグビー部に入った」と話す。

 「最初はしんどかった。レベルも全然違う。でも、朝練にいつも出てキックなど個人のレベルアップに努めた。そして、高2、高3の先輩たちに負けないよう、自分が3年になってもラグビーを楽しめるよう心がけていた」

 不動のナンバー8として活躍した朴鐘圭選手も、プラス思考だった一人だ。

 父や兄の影響で中1からラグビーを始めた彼は、高1に上がった時からAチームのメンバーとして時々試合に出ていた。「最初に思ったのは、練習が厳しいということ。実力も比較にならないほど先輩たちと離れていたが、この環境の中で自分を磨けば、絶対にうまくなるという自信を持てた」と話す。

 悔しさとあきらめ、負けん気などが織り交ざった彼らに一つの転機が訪れたのは、2007年7月。強豪・大阪桐蔭との1年生同士の試合で勝利をもぎ取ったのだ。「試合には勝ったが、これでいけるという自信にはつながらなかった。でも、自分たちの強さを実感できるきっかけにはなった」(呉泰誠主将)。同級生間の結束も強まり、自分たちの力に対する自信も持ち始めたことで、実りある2年目を迎えようとしていた-。

 そんな彼らの前に立ちはだかったのは、中学校の「全国大会」とも言われる近畿大会で圧倒的な強さを見せて優勝した東大阪中級の後輩たちだった。

[朝鮮新報 2010.1.20]

새 력사를 창조하는 유능한 인재로
 
조선회관에서 진행된 축하하는 모임
  《오사까조선고급학교 투구부 〈전국3위〉쟁취와 조선대학교 투구부 간또대학리그 2부승격을 축하하는 모임》이 15일 조선회관에서 진행되였다.

  총련중앙 허종만책임부의장이 주요단체 책임일군들과 회관일군, 조대와 오사까조고 투구부 감독과 선수들, 체련과 투구협회 관계자들과 함께 참가하였다.

  모임에서는 선수들의 소개에 이어 허종만책임부의장이 축하인사를 하였다.

  책임부의장은 김정일장군님의 선군령도로 우리 민족사에 일찌기 없었던 번영의 전성기가 펼쳐진 격동기에 투구부 학생들이 이룩한 이번 성과들은 김일성주석님과 김정일장군님의 현명한 령도와 극진한 사랑속에서 강화발전해온 민주주의적민족교육의 우월성과 우리의 민족적자존심을 내외에 크게 과시한 쾌거로 되며 총련과 재일동포들의 커다란 기쁨이고 자랑이라고 말하였다.

  책임부의장은 또한 조대와 오사까조고 투구부 학생들이 귀중한 성과를 거둘수 있은것은 풍파사나운 이역땅에서도 조선민족의 넋을 지닌 민족인재로 자라날수 있도록 조대를 세워주시고 우리 민족교육을 곧바른 발전의 한길로 손잡아 이끌어주신 주석님과 장군님의 현명한 령도와 사랑이 있었기때문이며 공화국과 총련을 고립압살하며 민족교육사업을 파탄시키려는 내외반동들의 악랄하고 교활한 책동을 물리치고 우리 학교들을 굳건히 지켜왔기때문이라고 강조하였다.

모임은 시종 따뜻한 축복의 분위기속에서 진행되였다.
  책임부의장은 7명제투구경기가 2016년부터 올림픽정식종목으로 결정됨으로써 앞으로 조고와 조대의 투구선수들이 축구의 안영학, 정대세선수들처럼 가슴에 공화국기를 달고 공화국대표로 국제무대에서 활약할수 있는 가능성과 전망이 펼쳐졌다고 하면서 투구부 학생들이 이번 성과에 만족하지 말고 총련중앙이 올해를 《민족교육을 강화하는 해》로 정한 요구에 맞게 조대와 오사까조고의 새 력사를 창조해나가는 장군님께 무한히 충직한 주체형의 투구선수로, 지덕체를 갖춘 유능한 민족간부로 자신을 부단히 단련함으로써 총련조직과 동포들의 높은 기대에 훌륭히 보답하리라는것을 굳게 믿는다고 말하였다.

  모임에서는 조대 리종기감독과 오사까조고 오영길감독이 결의표명을 하였다.

  그들은 우리 민족교육의 명성을 크게 떨친데 대해 긍지와 자부심을 간직하고있다고 말하고 래학년도에는 더 좋은 성적을 거둠으로써 민족교육의 우월성을 내외에 크게 과시하고 학생들을 장군님을 우러러 받들고 동포사회를 걸머지고나갈 믿음직한 인재로 키워나갈 결의를 피력하였다.

  모임에서는 조대와 오사까조고에 기념품이 전달되였으며 이어서 축하연회가 있었다.
(조선신보

오사까조선학생민족기악연주회

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민족교육의 우월성 과시
 
대합주 《봄이 왔네》
  오사까조선학생민족기악연주회가 작년 12월 27일 크레오大阪南에서 진행되였다.

  부하 조선학교 중고급부 민족기악부 성원들이 서로 뉴대를 깊이고 민족기악부를 전반적으로 발전시키기 위한 계기점을 마련하는 동시에 우리 민족악기를 널리 알리고 민족교육의 우월성을 크게 과시하자는 목적아래 동 실행위원회가 주최한 이날 연주회에는 300명을 넘는 학부모들과 졸업생들을 비롯한 동포들과 일본시민들이 참가하였다.

  이 연주회는 이번이 3번째가 되는데 각 학교의 민족기악소조 담당교직원들로 실행위원회를 무어 진행한것은 처음이다.

  공연에는 오사까조선고급학교와 히가시오사까조선중급학교, 기다오사까조선초중급학교 중급부의 민족기악소조 학생들이 학교별 연주와 합동연주 총 12연목을 피로하였다.

평상시 련마해온 기술기량을 남김없이 발휘하였다.
  각 학교 민족기악부에서는 2009학년도 재일조선학생중앙예술경연대회와 각종 콩쿠르에서 입상한 작품들을 무대에 올렸으며 《모란봉》, 《양산도》, 《능수버들》 등의 명곡들과 관악기중주 《협동벌의 경사》, 민족기악합주 《룡강기나리》 등 박력있는 곡들도 피로하여 관객들의 호평을 받았다.

  공연 마지막에는 모든 출연자들에 의한 대합주 《봄이 왔네》가 피로되였다. 회장에서는 우렁찬 박수와 《재청!》소리가 터져나왔다.

  관람자들은 《이렇게 많은 학생들이 민족악기를 하고있는것을 기쁘게 생각한다. 앞으로도 계속 각 학교들에서 민족기악소조가 활발히 활동할것을 기대하고있다.》, 《나는 조선사람이 아니지만 모든 악기들이 좋은 소리여서 가슴에 스며들었다. 민족악기, 민족음악의 귀중함에 접할수가 있었다.》, 《민족의 전통을 이어나가는데서 중요한 민족악기를 다루는 학생들의 모습이 아름답고 믿음직하였다.》, 《민족악기의 소리가 맑고 부드러우니 마음이 안착되였다. 예술제보다 훨씬 더 좋았다.》, 《모든 학생들이 즐겁게 연주하는 모습을 보고 나자신도 즐겁게 감상할수 있었다. 앞으로도 련습을 잘해주기를 바란다.》, 《조선의 민족음악을 처음으로 들었다. 학생들의 순진하고 아름다운 연주에 감격했다.》 등등의 감상을 남겼다.

학생들은 연주회를 통해 뉴대를 한층 깊였다.
  이번 연주회를 성공시키기 위하여 세 학교 학생들은 작년 4월부터 합동련습을 진행하여 기술기량을 련마하는 동시에 뉴대를 깊였다.

  그들은 준비과정에 민족악기와 민족음악을 통하여 서로 하나로 이어지고있다는것을 가슴뿌듯이 느꼈으며 녀학생들은 이역땅에서도 민족옷을 입고 민족악기를 당당하게 연주하는 기쁨을 맛보았다. 또한 민족기악소조가 그들에게 있어서 《우리의것》을 사랑하는 마당이라는것을 재확인시켜주었다.

  연주회는 관람자들로 하여금 민족악기를 더욱 몸가까이 느끼게 하며 민족적정서를 한층 북돋아주는 기회로 되였다.

  한편 연주회를 수록한 기념CD와 DVD(2,000긋)가 제작되여 판매되고있다. 리득금은 모두 민족기악소조의 운영에 충당된다. 문의는 동 실행위원회 사무국에(osaka.k.h.mingwan@gmail.com).
(오사까조고
〈第89回全国高校ラグビー大会〉 

プレッシャーはねのけ新しい歴史創造

 大阪朝鮮高級学校ラグビー部が「第89回全国高等学校ラグビーフットボール大会」で初のベスト4という快挙を成し遂げた。1972年の創部以来、「全国大会」でのベスト4入りという新しい歴史を創造した。昨年度の覇者・常翔啓光学園を破っての「全国大会」出場で注目が集まる中、選手たちはプレッシャーに負けることなく、最後まで朝高ラグビーを貫き通し、3位という成績を残した。

破竹の快進撃

ゴール前のモールからトライを決めた呉泰誠主将(対桐蔭学園戦)

 大阪朝高は、昨年12月30日に行われた初戦の新潟工業高校戦を50-0で完勝。1日には、初のベスト8進出をかけて国学院大学久我山高校(東京第1)と対戦した。

 開始直後の前半1分、大阪朝高は金勇輝選手がゴール中央にトライ。ゴールも決めて7-0とし、相手の出鼻をくじいた。前半17分には、相手ゴール前でのモールから金寛泰選手がトライに成功した。

 22分には相手の猛攻からトライとゴールを許すものの前半を12-7で終えた。

 後半に入っても久我山は攻撃の手を緩めなかったが、大阪朝高は低く速いタックルと粘り強いディフェンスで波状攻撃をしのぎきった。後半ロスタイムには、相手のミスからペナルティーゴールを得て、これを朴成基選手がしっかりと決め、15-7と相手を突き放したところでノーサイドのホイッスルが鳴った。

 試合後、呉英吉監督は「関東の横綱・久我山との対戦が初のベスト8進出をかけた試合となった。選手たちには新しい歴史を創ろうと呼びかけた。全員でつないでいく朝高ラグビーを貫くことができた」と述べながら、「選手たちは大会の間に大きく成長した。最後の5分の猛攻を、それぞれの役割を自覚し早いタックルなどでしのげたのが勝因だ」と語った。

声援を送る同胞、生徒たち

 呉泰誠主将は初のベスト8進出に、「みんなで『新しい歴史を創ろう』と声を掛け合って心を一つにして戦った」と喜びをかみしめながら、「今日勝てたのは僕たちだけの力ではなく、各地から駆けつけてくれた同胞たちの応援があったから。同胞たちの期待に応えられるよう、次の試合でも朝高らしいラグビーを見せたい」と決意を語った。

 3日に行われた準々決勝では、流通経済大学付属柏高校(千葉)と対戦。前半8分にトライを奪われ、今大会初めて先制を許したものの、徐々にペースを取り戻して相手の攻撃をしのぎ、前半終了間際の26分に朴鐘圭選手がトライ。ゴールも決めて7-5と逆転して前半を折り返した。

 後半に入って完全にペースを取り戻した大阪朝高は、相手の猛攻に慌てることなくしっかりとディフェンス。22分には金尚浩選手が追加のトライを決めて12-5と突き放し、ベスト4進出を果たした。

 5日に行われた準決勝では、桐蔭学園高校に7-33で敗れたものの、堂々の3位という成績を残して今大会を終えた。

「力と勇気与えてくれた」

大会3位を獲得した大阪朝高ラグビー部

 同校の金淳喆校長は、「選手たちは全国の朝高の代表として堂々と戦い、同胞たちに力と勇気を与えてくれた」と感想を述べた。

 大阪朝高ラグビー部OB会の金衛会長は、「すべての在日同胞の代表だということを忘れずに、頑張ってくれた」と選手たちを讃えた。

 OB会の朴成基さんも、「本当によくやった。昨年度の覇者を破った学校として、チームワークでその実力を遺憾なく発揮してくれた」と話した。

 選手の父母たちも、「ベスト8を飛び越えて、ここまで連れてきてくれて感謝している」「試合に出られなかった他の選手たちが一緒に喜んでいる姿から多くのことを学んだ」などと語った。

 大阪朝高の高蘭香さんと姜貴瑛さんは、「残念だったけど、とても感動した。ラグビー部は、大阪朝高の誇りだ」と述べた。

 呉泰誠主将は試合終了後、「『史上最弱』と言われてきた自分たちが、ベスト4になれたことが本当にうれしい。2年生の多い若いチームなので、来年はまた新しい歴史を創ってくれるだろう」と後輩たちにエールを送った。(本紙取材班)

[朝鮮新報 2010.1.6]

〈第89回全国高校ラグビー大会〉 大阪朝高 初のベスト8をめざす(2009.12.16)
大阪朝鮮高級学校ラグビー部が「第89回全国高等学校ラグビーフットボール大会」(27日~来年1月7日)に出場する(2年ぶり4回目)。Bシードの大阪朝高は現在、30日の初戦(2回戦、12時45分~、東大阪市多目的広場)に向けて


大阪朝高ラグビー部 「全国大会」に向け準備万端(2009.12.16)
11月8日に行われた「第89回全国高等学校ラグビー大会」大阪府予選で昨年度覇者の常翔啓光学園を破り、「全国」への切符を手に入れた大阪朝高ラグビー部。2年ぶり4回目となる大会出場に向け、選手たちは各県代表との練習試合を精力的にこなすなど